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福島家庭裁判所郡山支部 平成4年(少)260号 決定

少年 Y・H(昭52.3.7生)

主文

この事件については審判を開始しない。

理由

1  本件の送致事実の要旨は、「少年は、平成4年6月13日午前7時40分ころ、日頃から不仲であったA(当時19歳)を殺害しようと企て、東京都目黒区○○×丁目××番××号○○荘2階6畳間において、就寝中のAの腹部を柳刃包丁(刃体の長さ約30.7センチメートル)で突き刺したものの、同人に全治不詳の左腹部剌創の傷害を負わせたにとどまり、その殺害の目的を遂げなかったものである。」というものである。送致された証拠によれば、少年が右送致事実に書かれた行為(以下「本件行為」という。)を行ったことは認められるが、右証拠及び当裁判所の命じた鑑定の結果によれば、少年は、本件行為の当時心神喪失の状況にあったものと認められる。

そこで、まず、この点について説明する。

2  少年が右行為に至った事情及びその後の少年の状態については、以下のような事実が認められる。

(1)  少年は、H・J及びT・E子の第2子として、肩書き記載の年月日に正常満期産で出生した。T・E子は昭和57年にH・Jと離婚し、以後、少年はT・E子に養育されたが、少年は、実父と暮らしていた幼少時に、実父から煙草の火を押し付けられたり、風呂の水を掛けられたりする折檻を受けていた。

少年は、小学2年時から中学卒業まで特殊学級で学んだが、性格的には温和で、この時期に特に問題行動を起こしたことはなかった。

(2)  少年は、平成4年3月に中学校を卒業すると、東京に上京して寿司屋に就職した。同店には3歳年上の被害者Aがおり、少年とAは店で借りてくれていた○○荘2階6畳間に同居することになった。

少年は、漢字の書字や暗算も満足にできなかったため、雇い主は、少年に小学生用のドりルを買い与え、少年は仕事が終わった後などに勉強をしていた。また、Aも、挨拶や返事の仕方について少年を指導していた。Aは、少年の面倒をよく見ていたものの、少年が勉強しているときに、「いくら勉強してもだめな者はだめなんだ。」というようなことを面と向かって言ったりしたこともあったので、少年はAのことを少しうらみに思っていたが、日常はAとともに行動していた、雇い主はAと少年は仲がよいほうと思っていた。

(3)  少年は、犯行前日の6月12日午後7時ころ、雇い主に対して、男になりたいから知り合いに電話をしてくれと頼み込んでいるが、雇い主は取り合わなかった。同日午後11時過ぎ、雇い主からその話を聞いたAが、少年に対し男になるとはどういうことかと訪ねたところ、少年は人を刺すことだと答えた。

(4)  翌13日、少年は本件行為に及んだ。

(5)  同日緊急逮捕された少年は、当初、警察の取調べに対し、前述のだめな者はだめだと言われたことなどによるうらみからAを剌したのだと供述した。また、この時は、少年の家族などについての認識は、事実に合致した正常なものであった。

少年の供述は、しばらく変わらなかったが、20日になって、Aを刺した理由は、だめだと言われたこと以外に、雇い主に、「男になってみろ。刺せるか。」と言われたからでもあると供述を変えた。

(6)  鑑別所に入所中の7月16日ころ、少年は、H・Jに殺されると叫んで泣きじゃくったりするなどの異常行動を見せはじめた。そこで、鑑別所が精神科医の診察を受けさせたところ、少年は、医師の問診に対し、自分の刺したAはH・Jであり、自分を取調べた目黒署の刑事もH・Jであり、更にはH・Jはいわゆる大韓航空機事件の犯人のキムヒョンヒでもあるなどと言い始めた。そして、その後、鑑定留置中に、少年は、家族についての認識も、実母T・E子以外は現実と著しく齟齬するようになり、また、頭の中で神様の声や悪魔の声が聞こえる、悪魔の声は中学のころから聞こえたと答えた。そして、本件行為については、刺したのは雇い主に「男になってみろ。刺せるか。」と言われたこととAに馬鹿にされたことが込み上げてきて、頭の中で神様のような声で刺しちゃえという声が聞こえたからと供述した。

3  少年の6月13日の時点及び現在の精神状態については、鑑定人○○医師の鑑定書が存在するが、同鑑定書は、少年には被害妄想、顕著な幻聴、連合弛緩及び支離滅裂、奇異な妄想、自生視覚表象、自生思考、人物誤認、対話性の幻聴が持続的に存在しているところから、現在精神分裂病に罹患しており、また、非行時も精神分裂病の幻覚・妄想状態にあったと判断している。

右鑑定は、少年の現在の精神状態に関する限り、事実に誤認もなく、相手の手段により判断されているので、首肯できる。しかしながら、本件行為時の精神状態については、次に述べるような疑問も生じうるので、以下その点を説明する。

4  本件においては、少年は逮捕当初、家族歴等の身上経歴について正確な供述をし、動機についてもAに馬鹿にされたことをうらみに思ったからだと十分納得できる理由を具体的に供述し、刺した前後の行為についても一部に記憶違いによる訂正はあるものの客観的証拠に適合する詳細な供述をなしている。そして、雇い主に「男になってみろ。刺せるか。」と言われたということについては、逮捕後1週間を経過した6月20日に至って初めて供述されている。これらの事情を総合すると、少年は本件行為に及んだ時点では精神分裂病に罹患しておらず、逮捕当初は正常な精神状態でつじつまの合う供述をしていたが、20日前後に精神分裂病が発病したため、その後の供述では、剌した動機などについて本件行為時には考えていなかった新たな意味付けが加えられたのではないかとも考えられうる。

確かに、本件行為時に、雇い主に「男になれ。」と言われたと思っていたのであれば、そのことを逮捕後1週間供述しなかったのはやや不自然ではある。また、家族歴に関する供述の変遷や異常行動の有無などに照らすと、少年の症状は逮捕後かなり悪化したものと考えるべきである。しかしながら、少年が、行為時前に「男になってみろ。剌せるか。」と言われたと思っていたことは、前記2(3)の事実に照らし事実と認められるのであり、現在の病状の程度に照らすと、行為時においても、鑑定書に言うとおり、少年は精神分裂病に罹患していたと認めるべきである。

5  右のとおり、少年は行為時に精神分裂病に罹患していたと認定できるのであり、本件行為は、馬鹿にされたことをうらみに思ったという通常人に理解できる部分もあるものの、雇い主に、「男になってみろ。刺せるか。」と言われたとの妄想に影響され、剌すかどうか逡巡した際にも、頭の中で神様のような刺しちゃえという声がしたことで行為に及んだというものであるから、全体としては、妄想に支配された行為として心神喪失の状況での行為と認定すべきである。

6  当裁判所は、少年法3条1項1号の「罪を犯した」というためには、責任能力が必要と解する。保護処分は、刑罰とは異なり、少年の保護育成を目的とするものではあるが、現実には自由の拘束その他の決して軽視できない不利益を少年に課すものであり、何らかの非難の契機を要求すると考えるべきだからである。とするならば、少年の本件行為は、心神喪失による責任無能力の状況での行為であるから、同号にあたらないことになる。

7  よって、少年法19条1項により、主文のとおり決定する。

(裁判官 加藤学)

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